ブラックの心理「なぜマスコミはコロナを煽るのか?」

【ブラックな心】

「なぜマスコミはコロナを煽るのか?」

という意見を目にすることが多くなりました。

SNS上でも報道の在り方に対し疑問を呈し、陰謀論にまで発展されている方も散見されます。

コロナが危険かそうでないかの議論は横におき、確かにどのニュース番組を見ても、コロナで苦しむ家族や医療現場を写し出し、またその一方で緊急事態宣言により客足が遠のいたことで経済苦に陥った飲食店やイベント業者の方々を連日取り上げています。

そのことに対し、コメンテーターは医療現場を助けるために不要不急の外出自粛を訴えたかと思えば、その自粛によって仕事やお金が無くなった人たちを救わねばと訴える。
ダブルバインド(二重拘束)のような伝え方に「じゃあどうすりゃいいんだよ!」と受け取った視聴者の方も少なくないでしょう。
つい最近では、若者と年配の人で対立構造にしている報道も見受けられます。

こうして見るとマスコミに不信感や敵意を感じる方も多いと思いますが、僕は「マスコミはユーチューバーと同質」と考えています。
つまり再生回数を稼ぐため、しいては広告収入を得るために、どうやったら沢山の人に見てもらえるかを必死に考えている方たち。(もちろん双方に使命感を持った方もおられることは承知してますが)

新聞社で記者をしていた友人から聞いた話ですが、テレビで取り上げる事件などは警察などから情報を入手し、いかにインパクトがあり視聴者、購読者を惹きつけるものが優先され記事になるそうです。

なので、マスコミが何か企んでいるわけでも、どこかに扇動しようとしているわけでもなく、単にビジネスライクとして視聴率を上げ、スポンサーからの広告収入を得るミッションを遂行しているだけなのではと僕は考えています。各局の報じ方に大差がないのもそう考える理由の一つです。

そう考えると、コロナで苦しむ人にスポットを当てているのは、伝え手というより、それを見たいと求める受け手、つまり僕を含めた「多くの国民なのでは?」と思うわけです。
煽り運転をされてる!と思ったはずが、知らぬ間に自分が前の車を煽ってたというニュアンスです。

「いや、そんなはずはない!」「そんな偏った情報よりも、真実を知りたいんだ!」という方もおられると思います。
思慮深く意識が高いかもしれませんが、そういう方は少数派なのかもしれません。

冒頭に「ブラックな心」と記しましたが、人の心には少なからずダークな面があります。

心理学用語に「シャーデンフロイデ」という言葉があります。
これは他人が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたことを見聞きした時に生じる、楽しみや喜びなどの快の感情を指します。
「人の不幸は蜜の味」がまさにそれですね。

昔で言えば「2ちゃんねる」のような人を蹴落とすような掲示板(一部の)、不倫報道による過剰なバッシングも、僕はこのシャーデンフロイデが働いていると思っています。

最近Twitterで見かけるのが、ある特定の人を不快だ!消えろ!と罵倒したかと思えば、対象者からブロックされたことに対し憤慨する。不快なのだから見れなくなってむしろ好都合なはずなのに、大きく矛盾しています。
それでも不快ということは、相手を罵倒し優越感を得たり、かつ相手が苦しんでいる姿を見たいということを本人が意識しているか無意識にやっているのかはともかく、いずれにせよシャーデンフロイデから説明すれば合点がいきます。

癌などの闘病ブログで、ある方が(その方も癌サバイバー)「末期や亡くなってしまったという投稿ほどアクセス数が多い、不幸な人を見て、自分は大丈夫だと安心したいんだろうな」と嘆きのコメントをしていました。全てがそうではないと思うけど、この言葉は重く核心をついていると少なからず読んでいる一人として心にグサッときました。

なかなか認めにくい黒い感情ですが、僕にもあるし、誰しも大小あれど存在しているのではと勝手に推測しています。

僕個人は、この感情を「自分の状態バロメーター」として設定しています。
人の失敗や不幸を知ろうとするときは、自分の心が満たされず不安定な時。
人の成功や幸せを素直に喜べるときは、自分の心が満たされ安定している時。

昔彼女が全然できなくて、どうにもこうにも上手くいかない時があって、すれ違う幸せそうなカップルを見ると「別れろ」「くそが」と直接言葉にはさすがにしてないけど、心の中ではずっと唱えていました。
しかし、いざ自分に彼女ができるとそんな感情は消え去り、カップルを見ては「幸せになって」と心の中で思い、なんて都合の良い奴なんだと自分に呆れかえりましたが、人に対する感情なんてものはいい加減なもんだと認識もしました。

人は比較してしまう生き物です。
自分の立ち位置を、誰かと比べることによって、自分が上だと優越感に浸ったり、みんなと一緒だと安心したり、自分なんて・・・と劣等感をいだいてしまったりします。

SNS疲れ、インスタが見るのが辛いという現象は、成功や充実している人たち(リア充)を見ることによって、自分と比較し、それに伴って劣等感をいだいてしまうところに端を発しています。

僕もFacebookに我が子のこと(先天性心疾患)を投稿したりしてますが、中には「結婚できてるだけいいだろ」「見せびらかしやがって」と不快に思う人がいたって不思議じゃありません。

自分は、同じように病気の子を持つ方のブログを読んで随分と救われたので、自分も発信者として誰かの癒しや気づきになってくれたらという想いで書いてはいますが、それはあくまで僕のエゴなので、全員が共感するはずないとも思っています。

SNSにまつわるトラブル(誹謗中傷、マウンティング、執着)が後を絶ちませんが、そもそも見なきゃいいじゃんと言えば済んじゃう話しなのです。
しかしながら人は誰かを通して自分を見る生き物なのです。

理想は、誰とも比較せず、オンリーワンの自分でOKとできればいいのですが、それにはある程度の心の訓練や、親からの愛情メッセージ「あなたはあなたでいい」をもらったという好条件がないと中々難しかったりします。

じゃなきゃ、悪かったテストの点数を折り曲げて隠したりしないし、流行りのメイクをその都度変えたりしないし、SNSも盛らないし、他人の不倫なんてどーでもよくなるけど、そうなっていないということは、誰しも誰かと比較して生きているのです。

そこからシャーデンフロイデが生まれ、成功した芸能人が不祥事で転落していく姿を見ながら、自分の中にある劣等感を払拭していくのだと思います。「いい気味だ」と。
だからこそ、不倫、薬物、コロナの非自粛などをよってたかってTVでも週刊誌でも取り上げ、多くの人が見、多くの人が批判を重ねているのです。
一般人が上のようなことをしても、誰も気にしませんよね。

やはりそこには、黒い感情が隠れているのだと思います。

「なぜマスコミはコロナを煽るのか?」の問いに

僕の答えは、潜在意識に「自分と同じようにしんどい思いをすればいい」という黒い感情が、ネガティブなニュースを欲しているからです。

過激な答えなので、賛否両論あると思います。
俺は違う、私はそんなふうに考えたこともないといった意見もあるでしょう。

もちろん全てとは言いません。
だけどニュースがなぜネガティブな方に傾くかの説明をしようと思った時、僕の思考回路ではこう考えざるを得ませんでした。

別の考え方があってもいいと思います。
当然ですが、僕の意見が正解ではないし、あくまでも一つの見解、説のようなものです。

物事を見るときに、こうして仮設を立ててみて考えるのも、頭の体操になるし、ここまで読んでくださった方の意見や感想も聞いてみたいと思っています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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