「ギャンブル依存症の怖さ」〜エピローグ〜

皆さんはパチンコ、競馬、麻雀などをやられたことはありますか?

これらは全てギャンブルと呼ばれるものです。
いわゆる金銭を伴う賭け事です。

パチンコだけが三店方式といって、当たった出玉を一旦特殊な景品に交換して、それを景品交換所なる場所にて現金に換えるのでギャンブルではない!という無茶苦茶な理屈でまかり通ってますが。

まぁ特殊景品を家に持ち帰る人は皆無ですし、景品交換所はパチンコ屋の店外すぐ近くに大抵あり、皆がそこで現金に換えるので、ほぼギャンブルといって間違いないです。ちなみに店員さんに景品交換所の場所を聞いても「わかりません」と絶対にあり得ない答えが返ってきますが、これもパチンコをギャンブルと認めたくない理屈です。

さて、これらの情報はネットで拾ったんだろと思われるかもしれませんが、いいえ違います。

全て体験に基づく話です。

何を隠そう「僕はギャンブル依存症だった」のです。

パチンコ、競馬、麻雀全てやっていました。

周りからはそんな風に見えないと意外に思われるかもしれません。

まだ「だった」と過去形で話せることが唯一の救いですが、ギャンブル依存だった当時の僕は救いようのない愚か者でした。

この事実はほぼ封印していました。

ギャンブルする人のイメージって、タバコをポイ捨てしてたり、歯が抜けていたり、暴力ふるいそうだったり、お金にだらしなかったり・・・それ自体が偏見かもしれませんが周りからそう見られるのが嫌だったことも隠していた理由の一つです。

ちなみに僕は人生で一度もタバコを吸ったことはありませんし(副流煙は山ほど吸っていた)、歯もちゃんと生えそろっています(笑)

真面目そうに見える僕でも、立派なギャンブル依存症になれるということは、誰でもなり得るのが恐ろしいところです。

実際の統計データでは、2020年でパチンコ人口はおよそ710万人です。20年前の2000年ではなんと2000万人を超えていました。今でこそ約3分の1まで減ったとはいえ石を投げれば当たるレベルです。

もちろん収入の範囲内で遊んでいる健全な遊戯者もその内に含まれますが、カードローンや消費者金融にまで手を出して借金から抜け出せない依存度末期のギャンブル中毒者が1~2割は潜んでいます(基本は隠すので実際はもっといるかもしれません)

悲しいことに僕もその中毒者の仲間入りしていた時期もありますし、二度と戻りたくない時期でもあります。

事の始まりは大学生になってまもなくのことでした。
記憶を辿りながら語ってみたいと思います。

高校までは石川県の田んぼが見渡せる田舎に住んでいた僕は、大学に入学するため愛知県のとある町に引っ越し一人暮らしを始めます。

知り合いが一人もいないので、寂しさも多少ありましたが、空がとにかく青く、なんて自由なんだろうと晴れやかな気持ちだったとことを覚えています。

心理学を学びたく、希望通り心理学専攻の大学に入った僕は、見た目通りの真面目さを発揮し、ほぼ最前の席で授業を受けていました。

しばらくは遊ぶこともせず、お金を稼がないとと思い、塾の講師やピザ屋でアルバイトをしていました。

そんな中、たまたま同じクラスで隣の席にいた優しそうで真面目そうな眼鏡をかけた男と仲良くなります。
サークルは違えど、同じ心理学科で英語など必須科目が同じなので、よく遊んでいた記憶があります。

そんな彼から「パチンコいかない?」と誘われるのです。
パチンコのパの字も知らない僕は、最初は恐る恐るも好奇心が勝ってしまい、ついにギャンブルに足を踏み入れるのです。

人生初打ちの機種は「モンスターハウス」でした。お化けが数字図柄を引っ張ったりする演出がある1996年発売の台で、ちょうど大学一年生の頃と重なります。

パチンコ店特有の大きく広い空間や激しい音、そして人の多さ、訳もわからず打ち続け、ここでビギナーズラックが来るかと思いきや、確か2万円ほど負けたような気がします。

ここで「バカバカしい、二度とやるか!」となっていればよかったものの、また再度リベンジに行くのです。

そして、僕はパチンコの魔力にハマる「大勝ち」をしてしまうのです・・・。

長い目で見れば「大負け」、地獄の入り口なのに、当時の僕はそれを知る由もありませんでした。

次回は「ギャンブルはなぜハマるのか?」その深層心理に迫ります。

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