【好き嫌い】
食べ物の好き嫌いが多いと
人間の好き嫌いも多い!
っていう言葉
よく耳にするけど
僕には耳の痛い言葉でした
なぜなら
小学校のとき
給食完食率はほぼゼロ
時には暗い廊下で
時には誰もいない放課後の教室で
時には先生から無理矢理口の中に入れられ
どれだけ涙し辛い寂しい思いをしても
それ以上に苦手な野菜たちが食べられなかったのです
今でこそかなり克服しましたが
吐いていたトラウマレベルの食材は未だ食べられず
そんな僕なので
人間の好き嫌いも多いという言葉に
どれだけあなたは自己中なの?
と言われているようで辛かったのです
苦手な人なんていないし!
と無理に強がってみたりしてました
食べ物の好き嫌い
人間関係の好き嫌い
イコールであるデータがあるわけではない
だけど最近ちょっと
あるかもと思ってきたのです
思い出してみると
食べ物の好き嫌いが多かった理由に
ものすごい苦いとか酸っぱいとか
当時の僕には不快でしかない刺激だったのです
しかし今では
野菜たちを食べてもあの強い刺激はなく
あれ?こんな甘かったっけ?
にんじんも平気で食べられる
味覚が変わったのか?
いや
もしかしたらそうではなく
僕は必要以上にそれらを恐れていたのかもしれません
人間関係もそうでした
怖そうな人は避け
恐れているからこそ
好き嫌いが出てくる
《自分を守るために》
食わず嫌いもそうで
あの人なんか嫌な感じだから距離を置こう
と話す前から頭の中で決めてしまう
実際に本当は良い人かもしれません
人間関係で好き嫌い多い人は
僕が過去に体験した食べ物の不快な刺激と同様に
あの人が嫌!
あの人の性格が悪い!
いつも上から物を言ってくる!
など外に意識が向かいがちですが
それは錯覚であり想像かもしれません
現に僕は
人間関係が上手く築けるようになってきたのと
同時に
食べ物の好き嫌いも減ってきたのです
あれ?話してみると意外と良い人だな
とか
あれ全然不味くない
あの苦味は一体どこへ…
むしろ美味しいかも
となる可能性だって大いにある
不登校や引きこもりの子や
職場の人間関係が嫌ですぐ辞めてしまう人は
人の怖さの裏に
センサーが敏感過ぎて(HSPなどもそう)
自分を守るスイッチが入ってしまう
そんな心理状態からそうなるのかもしれません
それはあくまでも
自分の中にあるものだから
自分で産み出したモンスター
そのモンスターは実はスライムぐらい
小さく可愛いものかもしれない
だからこそ意外と
世界は怖くないと思って
勇気を出して一口食べてみること
つまり人と接することをおすすめします
あれ?美味しい…
となれば貴方の世界は華やかに変幻するかも
そんなことを考えつつ
カウンセリングもしています
人への恐れ、その正体は憎しみです。幼い頃、人の機嫌を取ることでしか生きることができなかった。目の前の人のお気に入りにならなければ生きてこれなかった。目の前の人に嫌われたら生きてこれなかった。目の前の人に認めてもらうことだけが人生になってしまった。すると、自分の本当の感情を表現することができなくなります。ここに理想の自分が生まれます。目指すところは完全主義か八方美人。好き嫌いがあってもいいですよ。無理に自分を変えることはありません。まずは自分を好きになることです。人に好かれる努力をするのではなく自分を好きになる努力をすることです。そのためには、自分の感情に正直になることが大切だと思います。
藤谷さん
こちらへもコメントありがとうございます。
人からの恐れを避けるために自分を押し殺す人はたくさんいます。
押し殺すとご指摘の通り、自分は一体何者なのかというアイデンティティを見失うことにも繋がります。
カウンセリングの来られるクライアントさんは、そういう悩みの方が多く、その心境に寄り添いつつ、恐れは幻で、本当に自分を生きることに気づいてもらうのが1つのゴールだと思っています。