条件つきの愛が生む闇(病み)とは?

カウンセリングに来られる方で、誰もが知る超進学校に在学していたり、有名企業に入社できたり、営業成績ナンバーワンの立ち位置だったり、一見すると誰もが羨む順風満帆なような人生でも、本人はかなり悩み苦しみ辛さを抱えたケースが少なくありません。

一体なぜでしょうか?

能力もあり、結果も出しているのだから、自信満々のはずでは?
そう思うのも不思議ではありません。

ただ、当人は全く自信がなく、常に不安感に恐れ、心はいつも不安定な状態。
だからこそカウンセラーに助けを求めに来られるのです。

では、優秀な頭脳を持ち、高い能力を持つ人がなぜ自己肯定感が低いのか?
この矛盾を心理学を交え説明していきましょう。

「おぎゃあ!」と生まれたばかりの赤ちゃんは自分では何もできない無力な存在です。当たり前の話ですが、おっぱいを飲む、抱っこしてもらう、あやしてもらう、全てが親による愛情に基づく行為によって成し遂げられます。

僕自身も親になってみて初めて気づいたのですが、泣く姿、にこっとする姿、何かを訴える姿、どれを取ってもやってあげなきゃではなく、愛おしくてやってあげたくなる気持ちが100%で、まさに無条件の愛が我が子によって引き出されているのです。
生物学的にも、無力な赤ちゃんが生存するために備わった術かもしれません。

こうして新生児期から2~3歳までに得られる無条件の愛情を「愛着形成」と呼びます。
ほとんどの子どもは親から得られる愛情によって、安心感を持ち、のちのち関わる他者との関係でも信頼を築きやすくなります。
無意識に自分の存在は必要とされている、周りの人は温かく優しいと認識するからでしょう。

ただ被虐待の経験があるなど幼少期に恵まれない環境で生まれ育った人が親になると、自分の子どもにどう愛情をかけてよいかわからず、過剰なしつけや、逆に何もしないネグレクトといった子にとっては悲惨な状態になる危険性が潜んでいます。
ない袖は振れぬというわけです。

※上記の親が全てそうなるわけではありませんが、虐待の負の連鎖は統計上も出ています。

それらはレアケースですが、いわゆる普通の親も、子どもが少しずつ成長し、保育園、幼稚園、そして小学校に入学する頃には親の態度も少しずつ変化していきます。

無条件の愛から条件付きの愛への移行期です。

「静かにしなさい!」
「わがまま言わないの」
「勉強はしたの」
「なんでできないの!」

しつけのためや、心配からくる言動だと思いますが、できればGOOD、できなければBADというふうに子どものことをジャッジしていくようになります。

単純に言えば、言うとおりにすれば「褒め」、言うとおりにしなければ「叱る」という報酬or罰型の教育です。

それが問題かと言えば、一概にそうは言えませんが、程度問題です。

秋葉原無差別殺傷事件の加害者は、幼少期に漢字の間違いをしただけで母親から用紙をぐちゃぐちゃに破られ何度もやり直しをさせられ、テストの出来が悪いと真冬でも外に放りだされたそうです。

僕のクライアントさんの中でも、母親はテストの成績が良いと機嫌が良くなるが、悪いと終始不機嫌になり、答案を見せるのが怖かったというケースがあったりします。

一方で、出来が良い時は、親が満面の笑みを浮かべたり、たくさん褒めてもらえたりするので、子どもはそれを求め期待に応えるべく一生懸命になるのです。
そこには親の劣等感の払拭や、優越感を味わいたいというエゴが隠れていることが多々あるんですが、子はそれを知る由もありません。

こうした賞と罰によって条件付けの愛を得た子は、知らぬ間にその呪縛から逃れられず、絶えず努力し、結果を出し続けなくてはいけないと思い込むようになります。

冒頭の話に戻りますが、なぜ能力があり優秀な子が、自信が持てず不安に苛まれるのか?

それは、過度の親からの要求に応えようと強迫観念的に努力した結果、それに応じた成果が出ただけで、心中は「~しなくてはいけない」といった見えないプレッシャーが住み着いているからです。

こうした高学歴であるにも関わらず、不登校になったり、うつになったり、不適応行動を起こす人は、この過度の強迫観念によって心がパンクしたといっても過言ではないでしょう。

勉強が好きで自然と成績が上昇したなら何の問題もないのですが、条件付きの愛情を求めるために勉強をしていたでは、必ずどこかでその歪みが出てきます。

「何もせず家でぼーっとしていると罪悪感が生まれる」
安心の場である家がそうではなくなってしまうのもその歪みの一つでしょう。

テストの答案用紙の点数の部分を折り曲げて見えなくする行為もそうでしょう。

これは何も特別な話ではなく、日本のどこにでも起こりうる問題です。
出来が良い子が多いので可視化されにくいといった側面もあります。

赤ちゃんの何もできずそこにいるだけで愛おしいという無条件の愛情を忘れてしまい、いつの間にか条件によって愛を与え、時には罰を与えてしまう。

自分もそういう親になる可能性もあるので、自戒を込めて書いています。

東大生も中卒も自己肯定感は同じぐらいだったという報告もあります。

ここから何を気づき、何を学べばいいのか?

やはり子の自己肯定感を育むのは、「あなたはあなたでいい」「そこにいるだけでいいんだよ」といった存在を肯定する態度や言葉がけではないでしょうか。

理想論、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、親に期待に応えようと必死に努力したあげく自分を見失い悩み苦しむ人を多く見てきているので、そう思わざるを得ないのです。

親も子に対し、わざと苦しませようとしたわけではないと思います。
ちゃんとできるんだろうか、大人になって困らないようにとしつけしたかもしれません。心配からくる愛情なのでしょう。

だからこそその愛を「支配」という形ではなく、「信じる」という形を取ってほしいと思います。

根気もいるし、思い通りにならないことも増えるかもしれませんが、いつの日か感謝されることがあるかもしれません。
だからといって感謝されないかもしれません。

子どもを育てるという言葉は、親も育てられる言い換えることもできます。

そこには個人レベルでは対処できない問題もあるでしょう。

社会全体で考えていかないといけない課題かもしれませんね。
若い子の自殺も増えているので、早急に対処してほしいなとも思っています。

またカウンセラーの役目もそこにあると思うので、もし悩んでいる方がいたらカウンセリングも受け付けていますので、コメントやメッセージなどお待ちしております。

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